| ニュージャジーの秋 NO.2 8日 朝はパンケーキとメープルシロップ (後日16日にメープルシュガーという大きな木が公園にあり、 この木から採れることが分かった)と大豆などの野菜のソーセージ (これがソーセージそっくりのかおりである)を食べる。 何時ものようにマイクの車でN.Y.に行く。気温は74度。 リンカーンセンターを横切り、The NY Public Library for the Performing Artsに行く。 ここでは影絵の特別展をしていた。バリ島やタイのもの、中国のもの。 皮で作られてるものもある。ヴィデオで実演を楽しく見れた。 軽食後に近所のFork Art Museumに行く。 ここは素人の作品の展示で、小さいが頻繁に展示替えをするのでマイクは面白いという。 木製の鳥の遊泳した型の用途は射撃の「おとり」である。 圧巻は9・11のテロの記念に作られたキルトで 「The National Tribute Quilt A September 11 Memorial」という。 運命の4つの便の乗客、ツインビル、ペンタゴンに分けて死者の名前がキルティングされてる。 当初ピッツバーグでこの運動が始められたが全国の協力で完成した。 驚いたのは離れて鑑賞すると死者の名前の束でニューヨークの摩天楼と ツインビルの雄姿が工夫されてクッキリ浮かび上がることである。 夜はコロンブス街のワールド・カフェでマテニー、ライトトニックなど飲み、 正餐を注文した。名前の如く各国の料理がある。 我々はメトロオペラの「椿姫」の鑑賞、マイク夫妻は映画鑑賞である。 豪華に着飾った人達と豪華な舞台にさすがはN.Y.と思った。11時15分に終わり、 メトロの外のストラビンスキーの看板前で彼らと落合い帰宅した。満月に近づく。 あるジャズの店が演奏は良いが料理は不味いのでConundrum(難題)だとマイクは言う。 9日 気温は78度。当地に来てから終始快適である。4日に雨がおしめり程度あっただけ。 朝はとうもろこしと小麦のシーリアルに干し葡萄が入ったもの。 今日はマラの家族もいるので我々でちらし寿司作りである。 米はスーパーで「すし」と書いたのを1kg購入してある。これが$2.2なのは安い。 ウエストフィールドに買い物に行く。ネギ、トマト、キュウリなど。それに魚の鮭とツナ。 鮭は「すしならばワイルドが安全」という。重量はポンドで計算する。全部で$27。 しょうが、豆腐、ワサビは既に購入してある。30分で炊けた飯を団扇で煽ぎ冷やす。 これに持参した「すしのもと」を飯を切りながら入れて、金糸卵と海苔をかける。 みそ汁にはネギを入れた。 ユダヤ教の「収穫祭り」が明日10日から8日間なのでマイクは納屋から 合板8枚を組み立てるのに手伝えという。 ダグと共に協力する。8枚をボルトで止めると上に竹を20本ほど乗せる。 そして高ばさみで庭の木の葉のついた枝を数本竹のうえに乗せて完成。 「SUKKOT」と書いてサッカーという。今日は組み立てのみで食堂で皆ですしを食べた。 結構おいしく出来た。日本酒もある。 夜はヴィデオで20世紀始めの米国のショーをあれこれ見て8時50分に就寝した。 10日 マイクは朝からジムで2時間重量挙げ。 N.Y.のジョージ・ワシントン橋を渡り、クロワスターズに行く。 メトロ美術館の分館なので、ここも我々は無料である。 ロックフェラー等の寄付で1938年に公開された。 中世の修道院の作りで、中世の美術、庭園がある。 1時のガーデンツアーに参加した。 最初に1425年頃のロベール・カンパンの制作による 「受胎告知」の3枚の祭壇画の鮮明さに驚嘆する。 キュクサの回廊(フランス12世紀)では紫の菊が美しい。 中世と現代の両方の草花が植えてある。 草の露が見えるが草そのものから発露したものである。 1500年頃のベルギーの「ユニコーン伝説」のタペストリー。 (一角獣の生け捕り)など中世の雰囲気を楽しんだ。 今日は「収穫祭」初日である。 原則はサッカーの中にテーブルを持ち込み、ここで食事する。 サイドテーブルに電気スタンドを置く。 6時に食堂の2本のろうそくの前でカルラが祈りを唱える。 終わると夫婦でキスをして、我々にも頬にキスをして呉れる。 サッカーの中でも収穫の感謝と「世界の平和を祈る」。 私も平素天の恵みと農作への感謝の念を忘れてることを覚らされた。 満月の日なのにあいにく曇りであった。 従って近所のカレッジに望遠鏡を見に行く計画は取りやめ、代わりに 1958年のボストン郊外のNew Portのジャズフェスティヴァルの記録ヴィデオを見た。 マイクはもう35回も見たという。マヘリア・ジャクソン、ゴスペルなど、 サッチモの「聖者の行進」の演奏で終了。 マイクの蔵書に「To be or not to be BOP」というのがある。 此れはシェクスピアーの洒落であるが、事実終戦ころにBe BOPという著名楽団があったそうだ。 11日 我々だけで粥を作る。冷凍してあるジャスミン米に 卵を入れて日本からのまったけの味のお吸い物を入れた。マイク達はシナゴグへ。 黒沢監督の1956年ころの黒白映画「椿三四郎」を観た。英語のテロップが入る。 11時からノマヘーガン公園に散歩に出る。日々に紅葉の色つきが増して来る。 樹々にまといつく蔦の紅葉も素晴らしい。 午後2時頃からニューアークの町に行く。ニューアークの空港は1928年に開設された。 港もある。ここへ来ると黒人も多い。今日はニューアーク美術館である。 前回もマイクが薦めたところである。 ここはビール醸造の「バレンタイン」で産を為したバレンタイン氏が1885年に 死後は美術館とするように予め企図して設計されたもので、 まさにgilded ageにふさわしい。早くも1909年に開館されたとある。 チベットの仏教美術のコレクションが有名で、ダライラマも来たという。 メトロでも見た米国の女流画家の先駆けであるGeorgia O keeffe の作品もある。 EVANSの写真もあった。この人の写真には詩情がある。 夕食は自宅から西北にあるメキシコ料理店に行く。Joses Mexican Cartinaという。 私はガスパッチヨと魚を食べた。コスタリカから来たロイがギターを奏でて歌う。 マイク夫妻はロイと顔見知りで、ロイが最近身内6人を次々と癌で喪ったこと。 コスタリカに帰国してたが職を失い、この店で土曜のみ歌ってるらしい。 食後は近くの「ユニオン村メソジスト教会」に行く。 今日は8時からKlezmer音楽の夕べである。料金は12ドル。 この音楽はジプシー音楽とフランス系の旧ルイジアナ州の 南部Bluegrass Musicが混血して出来たジャンルの音楽である。 ACT,1(前座)はRobin Greenstein嬢がギターとバンジョーで歌う。 8時半からはMountain Boysの5人の公演。 クラリネットの女性Margo Leverettがリーダー。マンドリン、ギター、ベース、 フィドラーの組み合わせ。各自の服装が面白い。アメリカ人の若者の健全さを感じた。 9時45分までの熱演で休憩。地下の集会所でシャツやCDを売るのであるが、 ジュースやクッキーも無料で食べられる。我々もCDを1枚求めた。 第2部が終了したのは11時である。帰途は山道を帰ったが、野生の鹿が沢山いた。 運転に注意である。 12日 相変わらず朝はサッカー内でベーグルと鮭のロックスと紅茶。 庭のテラスに隣家との境にフランス語で「Attention chat lunatique!」という表示板がある。 理由を問えばマラは猫の毛にアレルギーで、隣の猫に注意という意味らしい。 今日はN.Y.City Operaのマチネーである。 5番街でプエルトリコ人のパレードがあるので混雑するという情報である。 早めに11時に出発した。美津子の要望でメトロのギフトショップに立ち寄っていたら カルラは出口でマラやコリーの昔の化学の先生夫妻に出会った。 奥さんがその教師である。挨拶したら二人の名前も覚えて呉れていたらしい。 彼らもオペラ見物である。旦那は私に「You have a great friend」という。 1時半からのモーツアルトのLa Finta は若い人たちの恋の病が題材で、 現代のセラピーに舞台が設定されてる。2幕は18世紀に。演出が難しいオペラと思う。 音楽は18歳の作品とは思えぬ素晴らしさである。 セラピーの主任はミュージカルの有名な俳優である。 最後は現代で、結ばれた3組のカップルと恋を果たせない主人公の 7人がセラピーの医師に注射して医師たちが眠ってしまうところで幕。 終了して予約してあったフランス料理のLa Boite en Boisに行く。 これは木の箱(Boite)にプレゼントを入れて贈る習慣になぞらえて 「料理の中身が楽しみ」という意味にかけてあるのだそうだ。 勘定は現金で$180。帰途は教会の役員をされてる Gloria & Richard Brown氏のオープンサッカーに参加する。 クランフォードの東の町にあり、彼はフラワービジネスで成功してるらしい。 玄関から階段を降りるとバーもあり、庭にマイク家と同様のサッカーがある。 果物などの飾りが天井から吊されていて、壁は合板ではなく、 合成樹脂の布でところどころガムテープでつぎをあててある。 客は満員。ここではHappy New Year!である。シャローム!でも良い。 ユダヤ人ばかりの集会である。サッカーの向こうにはプールもあるので裕福な家庭である。 日本から来た友人ということでたくさんの人に紹介されたが、 カルラの友人という3人の老女性とはモーツアルトの歌劇の話が出来たので印象深い。 彼女らは笑顔にあふれてる。 終戦後、17歳の時に海軍で熊本に駐留していたおじさんは片言の 日本語を覚えていて、「日本人の家族の絆が強いのに感心してる。 それは我々が既に失ったものだ」と言う。 確かに、50年前の日本はそうであったかも知れない。 タイムカプセルのようにこの老人は信じてる。 美津子は3年前に覚えた英語serendipity(思いがけぬ幸運)を使って謝意を示している。 13日 雲一つない快晴である。日本では見れないような晴天で、大陸性なのであろう。 カルラはリハビリに出てる。我々だけで散歩した。駅前のグローサリーでリンゴを3つ買う。 それをノマヘーガン公園で御当地流に丸かじりする。公園のトイレにはもう暖房が入ってる。 男性用にも子どものおむつ替えの台がある。散歩の途中で学齢の子どもに会うので 後刻聞いてみたら今日は「コロンバスデー」で学校が休みということが判明した。 それほど我々は当地ではニュースを見てない。 今日はN.Y.の北東のBOSCOBELの近所で見残したLYNDHURST邸である。 長いTappan Zee Bridgeを渡る。 この奇妙な名前はオランダが最初に植民してニューアムステルダムとなずけた時代の名残である。 リンドハースト邸はナシヨナルトラストが購入したもので、 マイクも会員であるから我々も入場料(10ドル)は免除である。 ツアーには子どもたちも参加していて可愛いい。 ヤムルカを被って白いシャツの正装のユダヤ人の子どももいる。この邸には壮麗な塔がある。 N.Y.市の市長を2期勤めたWilliam Paulding氏(1770―1854)が最初のオーナーである。 邸の庭は約10万坪である。 数家族が継承して最後は1961年に逝去したアンナ公爵夫人の生活の場であった。 丁度1961年から公開された。 19世紀のヴィクトリアンスタイルにマイク夫婦は興味がある。 この地区はHistoric Hudson Valleyと称されて、 他にもワシントンアーヴィングの家やロックフェラーの家もある。 この日は昼食をギリシャ料理店に入る。 マイクの説明で分かるのであるがギリシャコーヒー(cardomanという)や taramouselataというパンにred caviar spreadというペーストをつけて食べる。 美味である。 最後にシャガールとマチスのステンドグラスのあるユニオン教会を訪問した。 正面の窓の薔薇のグラスが1956年のマチスの作品である。 両側の8枚と反対側の大きな1枚がシャガールの作品で双方、 教会員であったロックフェラー家の寄付である。 シャガールの作品も「情け深い人」というテーマ性があり、両側の7枚が旧約聖書関連。 「ユダヤ人 のシャガールがキリスト教会のためにステンドグラスを造るなんて」 とカルラが言ったように思う。夕陽に映える紅葉に見とれた。 帰途は車中で昔のワンマンバンドのCD演奏を聞き、パリセイド(cliffのこと)が 眺められる展望の良い地点を経由して、 N.J.州のbergenfieldに3ケ月前に移転したコンスエロの家を訪問した。 借り家という。サンドイッチとノンカフェの紅茶をご馳走して呉れる。 土産には真珠のネックレスを持参した。 居間には3年前に贈呈した源氏物語の風呂敷を飾って呉れている。 スチーブの地下の仕事場はテープレコーダー、ミキシングの機械、 シンセサイザー、CD、テープやレコードがところせましと整理されている。 マイクはうらやましそうに見ている。美津子の茶の手前を披露して、 茶碗の羊の模様から話題が日本の「干支」に移った。 夫れ夫れ1951年、1965年生まれの彼らの干支は最初私が間違って 「猪」と「虎」というとゲラゲラ笑う。 それを訂正して「兎」と「蛇」だというと又大笑いする。別れの挨拶は玄関で済ませる。 車まで見送る習慣はないようだ。夜、列車の大きな汽笛が2回聞こえた。 大平原を走る汽車が想起される。 14日 さて、米国のガソリンの値段は1L=¥52見当である。 産油国にしては高いという実感がする。彼らの行動半径は広いので負担感も相当するであろう。 今日はカメラが又つぶれて今度は巻き取りどころか撮影出来ないのでボブの店に行く。 「オーバーロールだよ」と言う。本当に彼には助けて貰った。 後から出てきた美津子とはバス停で待ち合わせ、10時のバスが10分遅れで来たのに乗り 最後のN.Y.に行く。5番街で降りて、 IBMビルにあるDAHESH MUSEUMを目指した。 摩天楼の威容を痛感する。美術館では所持する鞄はクロークで検査を受ける。 レバノンのベイルートに住んでいたダヘシュ博士(作家、哲学者)のコレクションで、 内乱を避けて1995年に当地で公開された。内容は19世紀の欧州の絵画、彫刻である。 アングルやドガなど有名な作家の作品は少ないが、レイアウトと分量が程良い。 この日は前日の睡眠不足で肩が猛烈に凝る。キャプションが読めない。 小学生が教師に引率されて来る。教師の語り口はカルラに似ている。slowly,clearyである。 LEVYの描く女性が印象に残った。一般に観て感動するか、 何かを教えて呉れる絵画が良いという私の考えである。 昨日コンスエロの家でも話題になったタカシマヤにも行く。面積は小さい。 地下の食堂は満員なので、3年前の57St.の勝手知ったるバーガーの“ Heaven“に入った。 尤も前回の印象と違って案外大きい店なので驚いた。 Folk Art Museumは月、火曜が休みで、ロックフェラーセンターに向かう。 私は89年に来て以来である。中央でアイススケートをしている。 MOMAの分館であるデザイン美術館にも寄り、4時のバスで帰宅した。 シャワーの後ベッドで静養する。今宵はジャズ鑑賞である。 7時半に近所のBlue Moonに行く。 12年前から開業していて、今日は良いバンドらしい。 マイクにどこから情報を仕入れるのか聞くと「友人からの情報、自らの検索」という。 かぶりつきの席でギネスを注文、HAMOND B3 ORGANと ギター、コンガ、ドラムの構成で、オルガンの後ろには扇風機がゆっくり回ってる。 此れはマイクロフォンに音を送る装置である。 オルガン以外は黒人奏者で、強烈な音楽である。本場とはこういうものかと呆然とした。 4曲ほど聞くと客の黒人女性がシンガーらしく、即興で仲間入りして歌って呉れる。 連れの女性は伴奏をバックに「詩」の朗読をした。 私の注文はビール3杯とニューオルリーンズのにんにく入りのソーセージのみ。 入場料も要らないのでマイクに質すと、彼らは他の収入もあるので ユニオンが認める最低の額で演奏してるとの説明であった。 オルガン演奏は俗に言う「超絶技巧」である。11時に帰宅。 15日 曇り。オートミール(マイクが鍋で作ってくれた)とメロン、ぶどうのみ。 10時35分にデラウエアー州に出かける。 休憩所(ワズワースという名前)で初めてニュージャージーの地図を購入した。 もうフィラデルフィアの近所に来ている。 目指すはウイルミントンのBrandywineという豪華な名前の川の峡谷である。 デラウエアー川の橋を渡る際に北に懐かしいフィラデルフィアの町が見えた。 Hagley Museumは木立の中にある。川は勢い良く流れてる。 化学会社デュポンの発祥の地である。 フランスから移住した彼(1771―1835)は1802年に ここでgunpowder火薬を製造して大財閥の基礎を作った。 広大な土地にDuPond の祖先が残した様々の記念物や自宅がある。 1時のツアーに参加した。園内は小さなバスで移動する。 初期の火薬の広告は正に「野獣の生息する新世界」である。 初期の蒸気機関のモデルも動かして見せる。 米国の国鳥である鷲の飾りが各部屋にある。 庭にあるreflecting poolというのは泳ぐプールではなく、景色を写す仕掛けである。 続いて車で1マイル移動して3時からのヌムール(Nemour)邸の参観である。 ツアーの一員の記念にカーネーションの花を一輪呉れる。 素朴な生活をした他の家族と異なり、5代目となる アルフレッド・デュポンはフランス式の豪邸を1910年に建築した。 ヌムールとは移住したデユポンの父親が代表をしていたフランスの町名である。 ここは入場料10ドルであるが、土産の絵ハガキ、ツアーの最後にジュースを呉れる。 地下にはボーリング場もある。さながらルイ16世風の宮殿である。 庭はバスで見学するが自動で門が開閉する。 45万坪の庭なのでメインの住居から庭のSUNKENと称される1930年に出来た ローマの大理石のモニュメントまで1マイル(1,600m)もある。 夜はデラウエアー州でCharcoal Pitに入った。 ここは本物の1950年代のアメリカ料理を踏襲している。 icecream creationというのはアイスクリームにトッピングすることらしい。 帰宅してからお茶の時間に京都のタカシマヤで購入した2枚の紅葉の ランチョン・マットをプレゼントした。紅葉を見物した最後の日に贈呈しようと演出した。 美津子の注文した靴が未着で、この扱いの議論をした。 翌朝カルラが交渉して呉れて店の負担で郵送して呉れることになったが、 美津子は2月にヴェトナムの服でもトラブルあり、海外での注文には嫌気がさしたと思う。 16日 最終日パッキングの後はもう豪邸見学は辞退してのんびり近所で過ごした。 朝はダンキンのドーナツ店である。 ここの商品はドーナツをコーヒーなどの飲み物につけて食べる。 それからブロンデーとダグウッドの漫画の古本を見に古書店に行ったが見当たらず、 自然保護の基金の有するARBORETUMに行く。 ここもmaple sugarの木などをのんびり見学。ショップでかわいい置物を買う。 昼は4年前に出来たPanonaというサンドなどセルフサービスの店に行く。 付近の紅葉をドライブで見せてもらい、夜はサッカーの中で 鮭、マグロ、ジャガイモ、カリフラワーの料理をマイクがして呉れる。 最終の晩は皆でキムノヴァック、ウイリアムホールデン、スーザンストラスバーグ (彼女の父は演技指導で有名という)の「ピクニック」を見た。 1953年、少年時代にキムが扮する「ニーワラの女王」がHalloweenの逆読みで、 米国人の諧謔に憧れたものだった。日本のビスケットとお茶で仕上げ。 17日 ニューアーク空港で自動チェックインをマイクがしてくれた。 本人確認に自分の信用カードが要るのがミソである。 彼らは午後にメリーランドのコリーの学校の劇場の新築披露に泊りがけで行く。 早々に再会を約して別れた。 帰国して、留守中わが家を気にして下さっていた向かいの野村夫人が10月21日に逝去された。 我々の帰着を待って下さってたがごとく。(完) |